Culture Comsons:豊かな人生を送るために

門前の小僧習わぬ経を読む

私の母方祖父は漢文を嗜む人だった。
祖父の家には私と同年代の従兄妹がふたりいたけれど、祖父はなぜか私だけを膝にのせて漢詩を読み聞かせてくれた。
どちらの従兄妹に聞いても「祖父が漢詩を読めたなんて知らない」というし、弟に聞いても「そんなことしてもらった覚えがない」というので、私だけの贅沢だったんだと思う。
私を膝にのせて

桃之夭夭
灼灼其華
之子于歸
宜其室家
桃之夭夭
有蕡其實
之子于歸
宜其家室
桃之夭夭
其葉蓁蓁
之子于歸
宜其家人

と読んでいた祖父はどういう気持ちだったんだろう。
寡黙な人だったし、晩年はALSでほぼ会話ができなかったから祖父の気持ちはわからないけれど。
幼いころから祖父が漢詩を読み聞かせてくれたおかげで私は知らず知らずのうちに漢文、漢詩が読めるようになっていた。
門前の小僧習わぬ経を読む とはこのことか。

温故知新

父方の祖父はフィールドワークが好きな人だった。
毎年のように私たち姉弟を旅行に連れて行き、その地の博物館や資料館、神社仏閣を巡って由来を調べて歩いている人だった。
それだけでなく、毎週のように私を上野の科学博物館や東京国立博物館に連れていってはこの展示物がどうだ、あの展示物はああだと話して聞かせてくれた。
祖父の父、私からみると曾祖父は深川の瓦葺職人だったらしい。関東大震災のあとすぐに若くして他界したのだが、江戸の古地図を見ると高祖父(曾祖父のさらに上の世代)が住んでいた家が記載されている。
一度だけ、祖父と一緒にそのあたりを歩いたことがある。祖父も物心ついたかつかないかの頃までは深川に住んでいたと話してくれた。が、「あのあたりはウチにとっては障りのある地域だからね」と長居させてはくれなかった。この「障り」についてもいずれ書き記しておきたいと思う。

祖父が健在、健脚だった当時は空前のシルクロードブームだった。そのため私は何度も祖父と東博に足を運んで、シルクロード展を楽しんだ。金色のグリフォンや象牙でできたチェスの駒、様々な織物や経典。小学生だった私は夢中で祖父の説明に耳を傾けていた。
2001年、バーミヤーンの仏像が爆破された時、祖父は本当に悔しそうだった。
普段は温厚な祖父が
「相容れないからといって他の文化や宗教を破壊する行為は破壊を命じたものが信仰する神をも侮辱する行為だ、天に吐いた唾は必ず己に返るぞ」
と怒りをあらわにしていたのを覚えている。

私の祖父たちは、生まれた時代(二人とも大正1桁)もあり、旧制小学校の一種である尋常小学校までしか出ていない。
それでも漢詩を嗜み、古典籍に触れ、日常的に関数や統計を用い、英語も理解するという、今では大卒でも難しいレベルの知識を持つ人たちだった。
祖母たちも独学で簿記を覚え帳簿を付け、新しいものに興味を持ち、年老いた今でも日々学ぶ姿勢をもつ女性である。祖母の背中で寝かしつけられながら、呪文のような孔子や孟子の言葉を聞かされたのも懐かしく思う。聞けば、尋常小学校で覚えたのだとか。
そんな先達に囲まれて育った私が、梵天丸もかくありたいと思うようになったのはいわば当然のこと。

梵天丸もかくありたい

なーんて。なんかものすごい志を持った人っぽいですね。
私は祖父母と楽しむ時代劇や旅行が大好きで、おぶわれたり膝に抱かれて居眠り半分で聞く漢文や昔話が大好きで。
古典の教科書に載っていた「かちにてもうでけり」がクラスでブームになって、
「今日の登校はいかに」
「かちにてもうでけり」
で盛り上がったり。
友達に家の雨どいに蔦が巻き付いて、という話をしたら
「これは式子内親王の御墓にて候」
「またこの蔓をば定家葛と申し候」
って盛り上がったり。
そういうハイコンテクストな会話を楽しみたい。楽しめる人を増やしたい。いっそみんなで楽しもう!楽しいよ!
っていう気持ちでいるだけなんです。
誰でも一度は親に布団を剥がれて
「春眠暁を覚えずー!」
って怒った記憶ありますよね。え。ない?明日の朝からでいいのでやってください。楽しいよォ

古文不要論、漢文不要論がさも当然のように語られ、タイパ、コスパと効率性にばかり注目されていますけど。古典はちゃんと現代に繋がってるんですよ。
科学の発展で紐解かれる歴史の奥深さ。方程式を正しく読み解くための読解力。
どちらも人生に必要不可欠なものです。

最後に、祖父が好きだった荘子の斉物論を。

以指喻指之非指、不若以非指喻指之非指也。
以馬喻馬之非馬、不若以非馬喻馬之非馬也。
天地一指也。
万物一馬也。

可乎可、不可乎不可
道行之而成、物謂之而然
悪乎然
然於然
悪乎不然
不然於不然。
物固有所然。
物固有所可。
無物不然。
無物不可。
故為是挙莛与楹、厲与西施、恢恑憰怪、道通為一。

其分也、成也。
其成也、毀也。
凡物無成与毀、復通為一。
唯達者知通為一、為是不用而寓諸庸。
庸也者、用也。
用也者、通也。
通也者、得也。
適得而幾矣。
因是已。
已而不知其然。
謂之道。

労神明為一、而不知其同也。
謂之朝三。
何謂朝三。
曰、狙公賦芧、曰、朝三而莫四。
衆狙皆怒。
曰、然則朝四而莫三。
衆狙皆悦。
名実未虧、而喜怒為用、亦因是也。
是以聖人和之以是非、而休乎天鈞、是之謂両行。

指をもって指の指にあらざるをさとすは、指にあらざるをもって指の指にあらざるを喩すにしかざるなり。
馬をもって馬の馬にあらざるを喩すは、馬にあらざるをもって馬の馬にあらざるを喩すにしかざるなり。
天地は一指なり。
万物は一馬なり。

可を可とし、不可を不可とす。
道これを行えば成り、物これをいえばしかりとす。いずくにかしかりとするや。しかるをしかりとす。悪くにかしからずとするや。しからざるをしからずとす。物、もとよりしかりとする所あり。物、固より可とする所あり。物として、しからざるはなし。物として可ならざるはなし。ゆえにこれがために、ていえいと、らい西施せいしとを挙ぐれば、恢詭譎怪かいききっかいなるも、道は通じて一たり。

その分かるるは、成るなり。その成るは、そこなわるるなり。およそ物は、成ると毀わるるとなく、た通じて一たり。ただ達者のみ通じて一たることを知り、これが為に用いずして、これをようぐうす。庸なる者は、用なり。用なる者は、通なり。通なる者は、得なり。まさに得れば、ちかし。るのみ。すでにして、そのしかるを知らず。これを道という。

神明しんめいを労していつをなして、しかるにその同じきを知らざるなり。これを朝三ちょうさんという。何を朝三というか。いわく、さるきみとちのみあたえるに、朝に三にして、くれに四にせんといいし、あまたの狙は皆、怒る。しからばすなわち、朝は四にして、莫に三にせんといいしに、衆の狙は皆、よろこぶ。名実いまだけざるにして、しかるに喜怒の用をなすも、またればなり。ここをもって聖人は、これを和するに是非をもってして、しかして天鈞てんきんいこう。これをこれ両行りょうこうという。

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